赤い羊の話

フィクションとノンフィクション

ドラゴンを貰った話

 


去年の冬、女の子に小さな小さなドラゴンを貰った。


数カ月に一度、子どもたちと会う機会がある。別に法に触るわけじゃない、むしろお互いにとって有意義なものだと思う。少なくとも僕にとってはそう。
 


目の前にある机にはたくさんの色が広がっていた。
その日の白は、海開きの日の波、スノーマンの肌、バニラのアイスクリーム、おばあちゃんの真珠。

青はシベリアンハスキーの瞳、夏休みのラムネ、薄氷の張ったみずたまり、あとはアリスのワンピース?あれ、イーハトーブの夜空だったっけ……まあいいか。

他にもビンに入ったレモネードとか紅茶色のハンカチとかいろんな色があった。

僕らは色を数えきれないくらい持ってる。その膨大な数からいくつか選んで、子どもたちに渡す。これを使って、僕らはいろいろなものをつくるのだ。

 

 


「わたし、これしかつくれないの」


こっそり僕にドラゴンをくれた、もう少しでここから卒業する女の子。
今日は3つ離れた弟と来ていた。人懐こい目がよく似た、ちょっぴりシャイな男の子だった。お姉ちゃんよりもシャイかもな、と思った。
 

へえ、そうなんだ。

 

よく友人に、「興味なさそう」「無味無臭」「心の冷たさがにじみ出てる」と言われる僕の話し方。自分とひと回り近く年の離れた子と話すときも、それは抜けない。いや抜く気がないだけかも。


「でも、ほかの子はうさぎさんだってお星さまだってつくれる。わたしはこれしか」

 
そう言って泣きじゃくる女の子の瞳に、僕は大きく揺れるふたつの宇宙を見た。

ああ、この宇宙はどこまで素敵になるんだろう。可能性なんて誰にもわかりゃしないし誰も限界を決めつけることなんて許されないんだ。たとえ自分自身であっても。


他の子がつくれるものをつくれなくても、君はドラゴンがつくれる。

それでイイんだよ。イイんだよって上から目線だね、ごめん。イイじゃんか。

この世界は誰にでもつくれる簡単なものだけでできてるわけじゃない。

君は君にしかつくれないものをつくり続ければイイと思う。
みんなで分担して、素敵な世界をつくろう。それがこの世界のつくり方だよ。

女の子はわかったようなわかっていないような顔をして、黙々とドラゴンをつくり始めた。宇宙はまだ目にたまっていた。
僕はドラゴンのつくり方が知りたかったが、尋ねるのをやめた。つくり方がわからない方が楽しく過ごせることもあるなと思った。僕よりもこの子がドラゴンをつくるべきだ。その方が、たぶん世界はずっとうまく動く。

 

 

ただ、昔つくれたもののつくり方を思い出せないのがなんだか悲しくて。

夜な夜な思い出そうとしては叶わず、一晩、また一晩と消費してしまう。

偉そうにあの子に言っておきながら、僕は何をつくって生きようかな、そんなことを考えるきっかけになった冬の日の思い出。

 

 

About 80% of this post is fiction.